2011年8月/日々雑感:よくわからないこと?!

2011年8月

味千(中国)の「骨湯門」に思う:中国ビジネスの難しさ

このところ中国の味千ラーメンが「骨湯門」で何かと話題です。「門」はスキャンダルのことで、豚骨スープにまつわるスキャンダルで騒ぎになっています。

もとはと言えば、そのスープが店舗で仕込んでいるとされていたものが「濃縮還元スープ」であることが判明し、なおかつ「1杯に肉の10倍、牛乳の4倍となる1600ミリグラムのカルシウムが含まれている、」と宣伝していたが、実際はその3%程度しか含まれていないということが判明し、大きな問題になったためだ。

そのため、店舗を運営している味千中国ホールディングスの株価は一時は高値から40%くらい下落した。そのため失われた時価総額は一時は700億円以上にも達した。

また、当局が「虚偽宣伝」の疑いで調査を始めたとも言われている。本件については、当初の味千中国の対応のまずさがリスク管理の観点から指摘されるが、今日ここで述べたいことは、その事ではありません。

味千は、既にご存知のことと思いますが、熊本県に本社のあるラーメン店チェーンで、日本国内では100店舗あまりですが、東南アジアなど海外に積極進出して、中国では500店舗以上を運営しており、中国・香港の店舗運営会社は香港に上場しています。「ガイアの夜明け」などテレビ番組でも成功例として紹介されることが多いので、ご覧になった方も多いと思います。

味千(中国)(正式名称は「味千(中国)控股有限公司」)の業績は、予想ベースで売上が3181.5百万HK$(約320億円)、利益(税前)が716百万HK$(約72億円)です、()今回のスキャンダルで下方修正される可能性が高いと思われます。

実は、この味千(中国)は日本の味千とは資本関係はほとんどありません。味千を運営している重光産業と重光社長の持ち分を含めても5%には達していないそうです。

現在のCEOである潘慰氏が味千の味に惚れ込んで、香港を手始めに中国展開を始めて成功したということで、日本側が積極的に展開したわけではありません。

味千(中国)は日本とライセンス契約を行って、ライセンス料や技術指導料を支払っています。その金額は年間1.5億円程度のようです。

重光産業は売り上げが166000万円(216月)ですので、このライセンス料の影響は決して小さくありません。現在受け取っているライセンス料が大きいのか?小さいのか?その評価は分かれています。

重光社長は、中国で事業を行うことのリスクと、中国側の経営者がやりがいのあるやり方を考えて、現在のようなやり方にした、と言っています。ある意味、中国で事業を行うことのむずかしさをよく理解されているが故の判断だったのかもしれません。重光産業の場合は、自らが積極的に事業展開を行ったというよりも、結果的に、中国事業にかかわることになったという印象ですが、中国で事業を行う場合には、何をどのようにというビジネス・モデルの問題はもちろん重要ですが、事業を行うにあたってのリスクは様々です。

日本では国内市場が縮小しておりますので、何らかの形で海外の成長を取り入れてゆくことを考えていかないと、会社は持ちません。その場合に、どのように海外とかかわってゆくのか?真剣に考えていかなければなりません。

 尚、味千(中国)ですが、最近は、少しずつ客足も戻ってきているようです。味千(中国)からの正式な謝罪が遅れたことが今回の大きな騒ぎにつながったのですが、ファーストフードのお店であるので、濃縮スープは品質・安全のベースになるものという評価の声も聞かれるようになっています。

「金額のない請求書」

民主党の新代表が選出され、事実上、新しい総理大臣が決まりました。たまたまテレビで代表選の模様を見てしまったのですが、その候補者の演説などを聞いていて、何か現実とは遊離した別世界の話を聞いているようでした。代表に選ばれた野田さんの口からは「国民のため」という言葉が聞かれましたが、その言葉が国民に向けられているようには思えませんでした。

民主党政権が誕生してから3人目の総理大臣の誕生となりましたが、「国民の審判」を得ることなく、またそのポジションがたらい回しのされることになりました。更に、非常に残念なことは、当初国民に約束された事柄が全く守られず(というよりもそれを守ろうという姿勢さえ見えませんでした)、正反対の「増税路線」「官僚依存」の政治が行われるということになってしまったことです。(増税に全く反対というわけではないのですが…多くの国民がそうだと思いますが)

菅前首相が自画自賛した「社会保障と税の一体改革」などはその好例です。野田総理大臣の誕生で、この一体改革が進められることになるのでしょうが、ここでは国民への説明がほとんどなされずに(メディアでもほとんど具体的なことは報道されませんでした)、「所費税増税の道筋」が決められてしまいました。ここで行われたのは、国民に「金額の書かれていない請求書が送りつけられた」ようなもので、いくら引き落とされるかは国民に知らされていない、というものです。更に悪いことには、請求書の明細が何も書かれておらず、何に使われるのかはわからないし、それによってどうなるかもわからない、と言ってもよいようなものです。

ここでは、この「社会保障と税の一体改革」に若干コメントさせていただきます。

  • l今回の改革で問題だと思うのは、改革の目的や具体的な案についての議論が脇に置かれて、消費税引き上げの議論のみが行われてしまったことです。

「税」の改革というのであれば、消費税だけでなく、所得税、法人税なども含めた全体の議論があってしかるべきです。また、財政赤字を補てんするためだけでなく、長期的な観点から将来の税収を増やすための税制改革もあってしかるべきです。

  • 何故、増税すべきなのかが明確に示されていません。東日本大震災後の復興構想会議の最初の会議でいきなり増税の方針が示されたのと同じ構図です。ここでの年金改革の議論も非常に重要であったはずですが、内容についてしっかり議論されたようには思えません。

ただ増税するというだけで、何故必要なのか、いつ・どこに・どれだけ必要なのかといった議論が全くありません。

  • また、この「一体改革」の中には、支出を抑制できるようなものもかなりあるはずです。例えば、社会保障の医療費などがそうです。従前からジェネリックの使用などが言われていますが、全く進んでしません。また、支出抑制ということでは、年金における給付削減議論も行われるべきでした。つまり、ただ闇雲に、収入を増やすことばかりが、中身の議論も何もなく、行われているのです。しかも、それを負担する国民には、詳細な情報が提供されていません。

社会保障関連予算は、既に一般歳出の50%を占めるまでになっています。財源をねん出するためには、もはや増税ばかりでなく、如何に歳出を切り詰めるかも徹底的に議論しなければならないでしょう。

つい最近のことですが、米国では国債発行枠の引き上げ問題が進展せずに、デフォルトを引き起こすのではないかと心配されました。この議論でも、歳入をいかに増やすのか(富裕層に対する増税議論が中心でしたが)と、歳出をいかに削減するかが、議論されました。二者択一ではありませんでした。

尚、「年金」に関する議論ですが、今回の改正案で、基礎年金の財源が、事実上、すべて税となりそうです。以前は、基礎年金の保険料での負担を1/3から1/2に引き上げる際にもずいぶん問題になりましたが、今回は事実上、それが全額「税」という形になりそうです。

東日本大震災や福島第一原発事故などで、この問題がかすんでしまった感はありますが、このように重要な問題についての情報がしっかりと国民に伝えられないことは非常に残念に思います。結局は、財務省の思惑通りにすべてが進んでしまっているように思われます。

 

 

菅首相とケビン・メア氏:『決断できない日本』

注文していたケビン・メア氏の「決断できない日本」が届きました。この本の著者であるメア氏は「沖縄はゆすりの名人」と発言したと報道され更迭された人物です。しかし、その後すぐにアメリカ国家安全保障会議アジア部上級部長に就任と伝えられたことで、それはとても更迭というようなポジションではなく、この事件の裏には何かあると噂されたのですが、その後、辞任。しかし、311が起こり、「トモダチ作戦」の国務省タスクフォースのコーディネーターをしばらく務めた人物です。

この本では、①「ゆすりの名人」報道②トモダチ作戦の舞台裏③沖縄基地問題④日米同盟等について記載されています。

ここでは、菅首相が自画自賛の末ようやく退陣しましたが、まだ福島原発事故が収束していないことなどもあり、②の「トモダチ作戦の舞台裏」に関連して、「日本政府(菅内閣)」の原発事故への対応についての同氏のコメントをいくつか紹介したいと思います。この事については、菅内閣への批判が色々な形で報道されていますが、それらの内容を米国側からの発言で裏付けるものとなったと思います。

同氏の日本政府に対する印象を一言でいえば、「政治指導力の無能」ということでしょう。この由々しき危機に際して、「日本のリーダーには決断力や即効性のある対応をする能力がない」ことです。(厳しい言い方をするのは、これが改善されるのを願ってのことだそうです)

今回の東日本大震災の圧倒的な困難にもかかわらず日本人が見せた規律と我慢強さにたいしては、「もっと良い指導力、より良い政治に恵まれるべき」としてします。日本の「政治のレベルの引きさ」を批判し、「責任を取らず、自己保身を図ることが目的化してしまった今の政治から脱却」すべしとしています。


今回の原発事故では、菅首相が責任を取りたくないばかりに、「事故処理をあくまで東電の問題とした」のですが、しかし東電はもともとこのような過酷な事故をハンドルする能力はなく、荷が重すぎた。スリーマイルの教訓からも明らかなように、このような対応では、私企業に任せるのではなく、国家的な対応が本来必要、もっというならば世界的な対応(世界の知恵を終結させること)がなされるべきであった。


自己当初の対応でも、日本政府は東京電力を全くコントロールできていなかった。312日の午後になっても東京電力は米軍ヘリで真水を運べないかとの問い合わせを駐日米国大使館にしていたそうです。これは水素爆発の直前にも東電が海水注入を躊躇していたことを示しています。

米国では情報が何も日本政府から来ないので、フラストレーションが高まりました。米軍は当然ながらグローバルホークなどを使って独自の情報収集をしていたので、原子炉の温度が異常に高まっていることを知っていました。最悪のケースとして、福島ばかりでなく、日本あるいは東アジア・太平洋の広範囲に汚染が広がることを警戒していたのです。

海外メディアで称賛された「フクシマ・フィフティ」についても、働いている人たちは称賛するにしても、この危機に当たって実際に作業をしているのがそれだけしかいないという事実に、米国は気が気ではなかったといっています。また、自衛隊ヘリによる散水について、「自衛隊の英雄的な放水作戦を見て、オバマ大統領が「日本政府は事故封じ込めに必死になっている。米国は全力を挙げて支援する」との決心を固めた」と日本では報道されましたが、事実は全く逆で、日本政府が出来ることがそれだけであったことに米国政府は絶望的になった、とのこと。

つまり、「菅首相の政治的パフォーマンス」であって、「政治的なスタンドプレー」のために自衛隊員は命がけの作戦に赴いた、と。

これはある意味「日本が平和ボケ」が治っていないためで、米国政府が911以降、テロ対策の為に日本の原発にも武装した警備員を置いたほうが良いと助言した際に「必要ない。なぜなら、銃の所持は法律違反になるから」と日本政府当局者が答えたというエピソードを紹介しています。(ちなみに、それを聞いたホワイトハウス当局者はジョークと間違えたそうです。)


また、今回の原発事故では「想定外」という言葉が使われますが、米国では「全電源喪失」を想定した対策が取られ、シミュレーション訓練も定期的に実施されているそうです。これは、地震・津波ではなくテロを想定してのものだそうですが、日本に対してもそれらについて説明を行っていたそうです。日本側でももっと研究がなされてしかるべきだったでしょう。


27日、菅首相は福島を訪問し、佐藤県知事との会見で、「中間貯蔵施設を県内に整備することをお願いせざるを得ない」との認識を伝えました。佐藤知事は「突然の話だ」としましたが、まさか、正式に退陣を表明した人から、退陣表明の翌日にそのようなことを伝えられるとは想像もしていなかったでしょう。しかも、菅首相は、胡錦濤国家主席との会見のように、メモを読み上げるようなもので(まるで自分はその決定に関係ないかのように)、最後の最後まで菅らしさを発揮しました。

しかし、これもそもそもは、初期対応において情報を隠蔽して、正しい情報を伝えなかったということが、強く影響しており、全てのことは悪循環をして、ただただ時間が遅れています。「帰宅に20年以上の試算」などということはもっと早く伝えられるべきで、期待を持たせておいて、6か月近くもたってから、何の将来に向けての対策や方針も出さずに、そのようなことを伝えるのは、非常に残酷な仕打ちです。


尚、この著書の日米安保や沖縄関係の事柄も参考にはなります。このメア氏はある意味米国の「田舎のおじさん」というタイプの人かもしれません。沖縄での報道では彼のことを悪く言う人も多いようですが、ある意味素直に米国の考え方を代弁している人かもしれません。同氏は、沖縄問題を「ナイーブ」と表現しますが、今回の「沖縄はゆすりの名人」事件もそのような「ナイーブ」な関係の中で基地反対派にねつ造された記事だ、としています。以前紹介したことのある「幻想の島・沖縄」(大久保潤著)で、200311月に当時のラムズフェルト米国防長官が沖縄を訪問した際に、普天間が「世界一危険な飛行場」と報道されたことが、政治的に利用するためにねつ造されたものである可能性が高いとされているのですが、今回の「沖縄はゆすりの名人」報道も、目的な違うにしても、同氏が言うように事実ではない可能性が高いかもしれませでん。

 

 

 

 

 

 

ハリケーン「アイリーン」への対応で思うこと

米国では、大西洋を北上しているハリケーン「アイリーン」が首都ワシントンなどの東海岸の大都市を直撃するおそれが出てきており、ニューヨーク、ニュージャージーなど7州の知事は非常事態宣言を出しました。ニューヨーク市では海岸沿いに住む25万人に避難指示を出すとともに、地下鉄やバスといったすべての公共交通機関を運休することを決めました。ニューヨークで強制的な避難命令が出るのは初めてとのことです。現時点では、ニューヨークはまだ天気は悪くないそうで、市民の中にはハリケーンに対する警戒意識がそれほど高くない人たちもいるようで、ブルンバーグ市長は何回か会見を行い、市民に避難を呼びかけているそうです。ハリケーンがニューヨーク市に近づくのは26年ぶりのことで、上陸すれば1893年以来、118年ぶりでとのことです。

米国では、ハリケーンによる被害は毎年相当数起きておりますので、それへの対策もしっかりなされているのでしょうが、ニューヨークのような大都市で、25万人にものぼる人たち(今後さらに増加する可能性もある)に、強制的な避難命令が出されています。そこでは市長が先頭に立って避難を呼びかけています。何か米国と日本の危機対応への違いを見せつけられているような気がします。まさにここで行われているのは、「最悪の事態を想定して行動する」ことです。ハリケーンの威力は強大ですので、もし上陸などしたら大変な被害が出るでしょう。しかし、その軌道が逸れてしまうこともあるでしょう。そうした場合に、避難した人たちはブルンバーグ市長を非難するでしょうか? 

 日本の政治家、例えば菅首相(ようやく退陣表明しましたが)の場合にはどのような対応をしたでしょうか?ニューヨーク市の人口は現在800万人で、周辺地域も含めるとその人口は2200万人にも上ります。パニックが起こったら大変だとして、強制的な避難命令など出せなかったのではないでしょうか?事例は違いますが、福島第一原発の場合は今回とは全く反対の対応がとられました。パニックになる恐れがあったからとよく言われますが、情報を隠蔽し、防衛的なメッセージを出すばかりで、対応は結果的にすべて後手後手に回りました。原発の周辺住民(例えば半径50㎞)はすべて強制避難というようなことが最初に行われていれば、多くの人が放射性物質にさらされることもなかったでしょう(残念ながら、まだ終わったわけではないですが…)。もし何もなければ、避難命令を順次解除していけばよかったはずです。また、もし考えられる最悪のケースが起きていたら、いわゆる「周辺住民」だけでは済まなかったはずです。

【Crossroad誌:掲載記事】『BATHL』及び『BATHR』(坂本夏子)(2作品)(2011年8月号)

日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』8月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。

毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、現在夏季ユニバーシアードが開催されている広東省・深圳市にあります。

作品タイトル 


BATH,L()      2009  oil on canvas  第一生命ギャラリー蔵 

BATH,.R()       2009-2010  oil on canvas  高橋コレクション蔵110825_HP用写真.jpg

坂本 夏子 (Natsuko Sakamoto

コメント

何か「MATRIX」の世界にでも迷い込んでしまったかのようだ。左右の作品は鏡のようになっており、また、それぞれの作品の中でも様々な鏡面が存在するかのようだ。しかも、空間全体がゆがんでおり、見ているとそのゆがんだ空間に飲み込まれ、中に落ち込んでしまうそうだ。

左右のどちらが現実なのだろうか?あるいはこの2枚に映る現実がほかに存在するのだろうか?いや、作品に描かれている世界の方が現実なのだろうか?何が実像で、何が虚像なのかわからない世界を前にして、思わず自分自身の存在そのものに対する不安を覚えてしまう。

作家は2作品を鏡合わせにおいて、同時に書き進めたそうだ。「バスルーム」は、水(面)が大きな鏡となり、そこにあるタイルは、ゆがんだ空間設定を行うには最適の設定だ。2作品を鏡合わせのように描いたとは言っても、よく見ると左右で若干違うところもあり、また、立ち位置(視線)がずれているような箇所もある。何か視線がゆがんだ空間に迷い込んで、徘徊するうちに、時間すらもこの空間の中でずれてしまったかのようだ。

それは、まず最初に、一方の画面に虚像を描き、それをもう一方の画面に実像として反映させ、それを繰り返し、描くことで、虚と実は区別することが出来なくなり、また虚と実を区別することは意味がなくなり、それぞれがその存在を主張しだした結果だろう。

長い時間見ていると、絵の中に引き込まれて、出てこれなくなりそうなのだが、「真」の自分の姿を見つけ出し、出口へと導いてくれる「白ウサギ」は現れるのだろうか?

作家略歴:

1983      熊本市に生まれる

2007      愛知県立芸術大学美術学部油画専攻卒業

2009      愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画・版画領域修了 

現在、     愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程在学中



個展

2008      overflow 白土舎/名古屋

2010      "BATH,R" 白土舎/名古屋(3.13-4.17

主なグループ展

2007      豊田市美術館常設展示, portrait 豊田市美術館/豊田市



2010      絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から 国立国際美術館/大阪

2010      VOCA2010 上野の森美術館/東京(3.14-3.30)

2010      豊田市美術館常設展示 豊田市美術館/豊田市



受賞

2009      第一回絹谷幸二奨励賞

2009      VOCA2010 奨励賞



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