【Crossroad誌:掲載記事】 『夢から醒めたら』(菅野静香)(2012年11月号)
【Crossroad誌:掲載記事】 『夢から醒めたら』(菅野静香)(2012年11月号)
日本語と中国語のバイリンガル・マガジン『Crossroad誌』本年11月号に以下の記事が巻頭エッセーとして掲載されましたのでご紹介させていただきます。
毎月このような形で同誌の『巻頭エッセー』として、日本の若手アーティストを紹介する記事を書かせていただいております。同誌は、中国の華南地方(主として 広東省と香港)を中心に、ビジネス情報を主体としてはいますが、文化や芸術等様々な情報を発信している雑誌です。編集部は、広東省・深圳市にあります。
今回は、「菅野静香」さんの『夢から醒めたら』という作品です。
作品タイトル:『夢から醒めたら』
コメント:
「夢から醒めたら」、どうなっていたのだろう?何が起こっていたのだろう?
中国で老荘思想の始祖の一人と言われる荘子による有名な説話として「胡蝶の夢」がある。
ある時、荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。 自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が醒めると、自分は荘周であった。
これは、荘周である自分が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か自分にはわからなかった、という説話だ。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では違いがある。しかし、主体としての自分には変わりは無い。また、夢と現実というものが対立して現れるが、そのどちらが真実の姿なのか?胡蝶であるときは胡蝶であり、荘周であるときは荘周である。そのいずれも真実の姿であり、自分であることに何ら変わりはなく、どちらが真実の姿であるかを論ずることはあまり意味がない。それよりも、そのどちらをも肯定して受け容れ、その場でせいいっぱい生きてゆくことが肝要なのでしょう。「夢が現実か、現実が夢なのか?しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」と荘子は言っているのだそうだ。
一見、すべてを突き放してしまうような考え方に思えるが、逆にすべてを肯定的に受け入れているようでもある。
この世のものは、すべて変化していきます。万全と思われるものも、また儚いと思われるものも、すべて変化していきます。すべてがその変化していく過程に過ぎません。「儚い」と見えるものも、「万全」と見えるものも、本質においては何ら変わりのないものなのでしょう。
この作品では、「夢から醒めた」自分、あるいは「夢から醒めた夢を見た」自分なのかはわかりませんし、またそれにあまり意味はないかもしれません。しかし、そこにいる自分はコンセントとつながっており、そのコードを通じて「命のもと」となるようなエネルギーをもらっているかのようです。
その自分の姿を見つめる少女の真剣な眼差しからは、自分の生をあるがままに肯定的にとらえ、前向きに生きていこうというような強い意志が感じられます。
少女のワンピースに描かれた胡蝶がそこから飛び出して舞うこともあるだろうし、隣に描かれた百合の花はまだ蕾のままだがそれが咲く日もそう遠くはないだろう。
略歴:
1985年 東京都生まれ。
2010年 女子美術大学大学院美術研究科美術専攻(洋画研究領域)修了。
現在、同大学専任助手。
受賞: シェル美術賞2009本江邦夫審査員奨励賞
第30回損保ジャパン美術財団選抜奨励展秀作賞受賞。
個展:
2009年 「菅野静香~生まれいずるもの~展」 (相模原市民ギャラリー/神奈川)
「mystic」 (gallery坂巻/東京)
2010年 「菅野静香展」 (Shonandai MY Gallery/東京)
「菅野静香」 (gallery坂巻/東京)
2011年 「サヨナラサンカク」 (gallery坂巻/東京)
2012年 「世界のどこかに消えたこども」 (gallery坂巻/東京)
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