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掲題の書籍を読んでいてまた驚くべき記述を見つけたので「その2」として紹介します。
それは「財務省支配のカラクリ」という章に出てきます(153頁)。
1990年8月にイラクがクウェートへ侵攻した直後、政府内の外務省と大蔵省のせめぎ合いの中で、政府が打ち出そうとした貢献策について、大蔵省が「事前に聞いていない」、外務省が「いや、話した」といったけんかをして、資金協力へのコミットメントが遅れた、というのです。
その結果は皆さん良くご存じのとおりです。日本は増税してまで130億ドルの資金提供を行ったのに、「Too little, too late」(少なすぎるし、遅すぎる)と批判され、結果、クウェート政府が出した感謝広告には日本の名前は出ませんでした。
江田さんが文字にまでしていることからすると、間違いないのでしょうが、(私の不勉強かもしれませんが)初めてこのような事を知りました。
日本にも情報公開法があり、本来であればこれらの事実関係について確認するすべはあるはずなのですが、ほとんど機能していません。
昨年の福島第一原発の事故では、政府内の会議の議事録がほとんど作成されていないことは既に明らかになっていますし、ひょっとしたら意図的に作成していなかったのではないかとということもうわさされています。
事実を知ろうとした場合にウィキリークスのようなものに頼らなければならないのでしょうか?大変残念です。
江田憲司氏の『財務省のマインドコントロール』に、本の主たる内容からは若干外れるかもしれないが、非常に興味深い内容が書かれていた。
それは「米国債の償還金15兆円をなぜ使わない?」という項に書かれていることで、1997年6月のデンバーサミット後に、橋本総理がニューヨークに立ち寄った際に行った講演の質疑応答に関わるものだ。講演内容の詳細は後段で記載しますが、「何回か、財務省証券を大幅に売りたいという誘惑にかられたことがある」という橋本総理の「有名」な発言についてです。
この発言を受けて、NYSEの株価は192ドルと、ブラックマンデー以降の最大の下げを記録して、市場に大きな混乱をもたらしました。当時は、「橋本総理は経済音痴」という批判を呼びました。
私も文字通りそのように受け止めていたのですが、実は、周到に準備をしたうえでの発言であったというのです。
江田氏は、当時、橋本総理の政務担当秘書官として立ち会っていたそうで、当時の自身の日記なども紹介しています。その橋本総理の発言は、旧知の財務官経験者との打ち合わせの上で意図的に行ったもので、講演の冒頭で、「金融関係者はいないでしょうね」と冗談めかして言ったのも、相当インパクトのある発言であることがわかっていたからだそうです。
日本の外貨準備は積み上がるばかりで、現在の残高は本年3月末で1兆2900億ドルに達しています。本来の目的からすればこのように巨額の外貨準備など必要ないはずで、必要以上に積み上がったものについてはタイミングを見ながら、適正な水準に調整する必要があるはずです。しかし、今までそのようなことは一切行われてきませんでした。それは、外貨準備が増加することで入ってきた資金で米国債を購入すること自体が目的化してしまったからで、それを減らすという考え自体が否定されてきたからでしょう。
昨年も安住大臣の下で、大きな為替介入が行われましたが、今や為替の市場介入自体が全く意味を成しません。一時的には対ドルでの円安方向へ動かすことは出来ても、時間の経過とともにすぐに戻ってしまいます。円高の原因を「投機的な動き」として、ヘッジファンドなどを批判するのですが、今や、日本政府が為替介入すること自体が、ヘッジファンドに「確実に儲ける機会」を与えてしまっています。今現在では、外貨準備は40%程度の含み資産を抱えているとみられています。つまり40兆円あまりが為替介入によって失われているわけです。
外貨準備の本来の目的やあり方を今一度見直す必要があるでしょう。
そのなかで、時々の政治状況によっても異なるわけですが、今回紹介されているように、少なくとも、公式ではないようですが、「意図的に外貨準備について米国に対してメッセージを送った」ことがあるということが分かったことは、大変興味深いことだと思います。中国のように、日本も、米国ともっと突っ込んだ本音ベースの話をできるようになってほしいものです。
以下、同著のなかから当時の橋本発言を転記させていただきます。
「ここに連邦準備制度理事会やニューヨーク連銀の関係者はいないでしょうね。実は何回か、財務省証券(米国債)を大幅に売りたいという誘惑にかられたことがある。ミッキー・カンター(元米通商代表)とやりあった時や、米国のみなさんが国際基軸通貨としての価値にあまり関心がなかった時だ。(財務省証券を保有することは)確かに資金の面では得な選択ではない。むしろ、証券を売却し、金による外貨準備をする選択もあった。
しかし、仮に日本政府が一度に放出したら、米国経済への影響は大きなものにならないか。財務省証券で外貨を準備している国がいくつかある。それらの国々が、相対的にドルが下落しても保有し続けているので、米国経済は支えられている部分があった。
これが意外に認識されていない。我々が財務省証券を売って金に切り換える誘惑に負けないよう、アメリカからも為替の安定を保つための協力をしていただきたい。」
311から1年が経過した。最近、大鹿靖明氏の『メルトダウン』という本を買って読んでいるのですが、第1部の『悪夢の1週間』では、身震いをするような1年前の記憶が思い起こされてきます。
今日、ここでは、第2部『覇者の救済』の中に描かれていた「原子力損害賠償法」(原賠法)第3条の問題について触れてみたいと思います。
これは、原発が事故を起こした際に、電力会社に賠償責任を負わすことを明記する一方で、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りではない」と、賠償に関する電力会社の免責規定を設けているというものです。東電の「救済」スキーム作成の際は、この免責条項が適用されるのかどうかが、随分議論となりました。
しかし、この『メルトダウン』で解説されていることを見ると、あの議論は一体なんだったのだろうか?と思ってしまいます。というもの、「異常に巨大な天災地変」の際には、電力会社に代わって賠償責任を負う「主体」がいなくなってしまう、というのです。更にいえば、電力会社が免責されるだけでなく、政府もその賠償責任を負わない、というのです。
原賠法では、第16条で、電力会社が単独では耐えられない損害賠償を追う場合には、政府が「必要な援助を行うものとする」と定めています。しかし、第16条の規定を超えるような「異常に巨大な天災地変」が起きた場合、原賠法は第17条で、政府は「被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずる」としか書かれていないとのこと。法案提出時の国会質疑で、中曽根科技庁長官は、「災害救助法程度のことはやるという、最低限のことは言えると思いますが、それ以上は、その時の情勢によって、政府なり国会なりが決めることになるだろうと思います」と答えている。さらに、「第3条におきまする天変地変、動乱という場合には、国は損害賠償をしない、補償してやらないのです。関東大震災の3倍以上の大震災、あるいは戦争、内乱というような場合は、原子力の損害であるとかその他の損害を問わず、国民全体にそういう被害が出てくるものでありますから、これはこの法律による援助その他でなくて、別の観点から国全体としての措置を考えなければならぬと思います」としている。
そのような場合には、国全体に影響が出るから、もはや原賠法の出る幕ではない、その時になったら改めて考えるしかない、というような内容です。行ってみれば、法はそのような事態を想定していなかったということでしょう。
しかし、このような内容は今まで全く語られることはありませんでした。東電やマスコミなどが、このような事実を知らなかったとはとても思えません。東電の「救済」のために、電力会社の免責事項のみが語られるだけでした。しかい、これによって利益を得る人たちが他にもいました。「銀行」です。銀行は、原発事故直後に2兆円もの資金を追加的に貸し込んでいました。もし、法的整理などの事態になると大変なことになります。原賠法の内容が正しく解説されなかったのも、そのような勢力の存在があったからでしょう。
「原発と陰謀」という本を読みました。著者は、池田整治という方で、陸上自衛隊で作戦幕僚も務めた危機管理と危機突破の専門家です。
かつての大本営発表のように官製メディアの情報が氾濫して、池田さんが強調しているのは、「マインド・コントロール」と「自分の頭で考えること」です。福島原発事故発生以来、「直ちに健康に影響が現れるというものではない」というように「マインド・コントロール」が行われており、それに騙されてはいけない、というものです。重要なことは、「自分の頭で考えることこそが最高の危機管理」と説いています。
今回、福島原発事故という大惨事が起きてしまいましたが、このような事態が発生してなお、「マインド・コントロール」から抜け出せないとすると、日本人はいつ、「自ら考える」ようになるのでしょうか?
13日に野田首相が月刊誌Voice10月号に寄稿した「わが政治哲学」という文章についての印象を記させていただいたが、どうもしっくりこないで何かもやもやしていた。詳細は以下のリンクをご参照ください。→『野田首相、「いま、この時期に東アジア共同体はいらない」論文:主権を放棄した国を、世界は相手にしてくれない』(11/09/13)
もやもやしていた理由は、野田総理が文章の中で引用していた松下幸之助氏の「崩れゆく日本」という書物を読んでいなかったためだ。野田総理の文章で中心となる主張は、①増税と②対米従属だった。その「増税」の必要性を説くために松下幸之助氏の文章が使われていたのだ。しっくりこなかったのは、企業経営を神様のような人が、増税ありきのような発言を本当に行っていたかどうか確信が持てなかったためだ。そこでさっそく取り寄せて内容を確認してみた。
松下幸之助氏の危機感は、政治・経済・社会・教育などすべての分野に及ぶ。つまりタイトルのとおりに、まさに「日本崩壊」を心配していたのだ。当時(1974年)と現在では経済状況は全く異なるので、詳細はここでは記さないが、訴えていたのは「あらゆる分野において抜本的な改革がなされなければならない」ということで、その為に「国民共同の力によってこれをふせぐための道を考えていきたい」ということだった。ただ単に財政のことを心配していたわけではなかった、ということだ。
野田総理には、同書の最後にある「筆をおくにあたって」の中で松下幸之助氏が非常に疑問を感じていたという以下の3点を記させていただきたい。(中でも特に②及び③)①コンピュータの導入で非常に好ましい状況になるはずなのに、現実はむしろ悪化しているようだがなぜか?②日本の国家予算についての疑問だが、戦前に比べれば、文明の利器も発達し、交通でも通信でもずっと便利になってきている。それらを利用すれば、戦前よりはるかに効率的な政治、行政が出来ると思うが、何故、賃金や物価に比べて、国費だけが突出して増えたのか?③したがって、税金も国費が増えた分だけ、たくさんとっているのだが、本当にそれだけ税金がいるのか?戦前は、納税者もはるかに少なく、税率も低かった。国家の活動が以前に比べて必ずしも活発というわけではないのに、なぜ、そんなに国費や税金がいるのか?(下線は筆者)
松下幸之助氏は自身でも言っているが経済人だ。政府や政府関係機関などの効率化が十分でないと言って、民間の経営を公的分野にも導入すべきという発言も同様にしている。その経済人の目からすれば、前記の②及び③のように公的部門の非効率性が目につき、税金や国費の巨大さが気になっていたようだ。
野田総理は、松下幸之助氏の言葉を利用して、国民に増税を迫ったが、松下幸之助氏は、むしろ逆に、政治・行政の非効率性に疑問を感じていた「のだ」「のだ」!!
注文していたケビン・メア氏の「決断できない日本」が届きました。この本の著者であるメア氏は「沖縄はゆすりの名人」と発言したと報道され更迭された人物です。しかし、その後すぐにアメリカ国家安全保障会議アジア部上級部長に就任と伝えられたことで、それはとても更迭というようなポジションではなく、この事件の裏には何かあると噂されたのですが、その後、辞任。しかし、311が起こり、「トモダチ作戦」の国務省タスクフォースのコーディネーターをしばらく務めた人物です。
この本では、①「ゆすりの名人」報道②トモダチ作戦の舞台裏③沖縄基地問題④日米同盟等について記載されています。
ここでは、菅首相が自画自賛の末ようやく退陣しましたが、まだ福島原発事故が収束していないことなどもあり、②の「トモダチ作戦の舞台裏」に関連して、「日本政府(菅内閣)」の原発事故への対応についての同氏のコメントをいくつか紹介したいと思います。この事については、菅内閣への批判が色々な形で報道されていますが、それらの内容を米国側からの発言で裏付けるものとなったと思います。
同氏の日本政府に対する印象を一言でいえば、「政治指導力の無能」ということでしょう。この由々しき危機に際して、「日本のリーダーには決断力や即効性のある対応をする能力がない」ことです。(厳しい言い方をするのは、これが改善されるのを願ってのことだそうです)
今回の東日本大震災の圧倒的な困難にもかかわらず日本人が見せた規律と我慢強さにたいしては、「もっと良い指導力、より良い政治に恵まれるべき」としてします。日本の「政治のレベルの引きさ」を批判し、「責任を取らず、自己保身を図ることが目的化してしまった今の政治から脱却」すべしとしています。
今回の原発事故では、菅首相が責任を取りたくないばかりに、「事故処理をあくまで東電の問題とした」のですが、しかし東電はもともとこのような過酷な事故をハンドルする能力はなく、荷が重すぎた。スリーマイルの教訓からも明らかなように、このような対応では、私企業に任せるのではなく、国家的な対応が本来必要、もっというならば世界的な対応(世界の知恵を終結させること)がなされるべきであった。
自己当初の対応でも、日本政府は東京電力を全くコントロールできていなかった。3月12日の午後になっても東京電力は米軍ヘリで真水を運べないかとの問い合わせを駐日米国大使館にしていたそうです。これは水素爆発の直前にも東電が海水注入を躊躇していたことを示しています。
米国では情報が何も日本政府から来ないので、フラストレーションが高まりました。米軍は当然ながらグローバルホークなどを使って独自の情報収集をしていたので、原子炉の温度が異常に高まっていることを知っていました。最悪のケースとして、福島ばかりでなく、日本あるいは東アジア・太平洋の広範囲に汚染が広がることを警戒していたのです。
海外メディアで称賛された「フクシマ・フィフティ」についても、働いている人たちは称賛するにしても、この危機に当たって実際に作業をしているのがそれだけしかいないという事実に、米国は気が気ではなかったといっています。また、自衛隊ヘリによる散水について、「自衛隊の英雄的な放水作戦を見て、オバマ大統領が「日本政府は事故封じ込めに必死になっている。米国は全力を挙げて支援する」との決心を固めた」と日本では報道されましたが、事実は全く逆で、日本政府が出来ることがそれだけであったことに米国政府は絶望的になった、とのこと。
つまり、「菅首相の政治的パフォーマンス」であって、「政治的なスタンドプレー」のために自衛隊員は命がけの作戦に赴いた、と。
これはある意味「日本が平和ボケ」が治っていないためで、米国政府が911以降、テロ対策の為に日本の原発にも武装した警備員を置いたほうが良いと助言した際に「必要ない。なぜなら、銃の所持は法律違反になるから」と日本政府当局者が答えたというエピソードを紹介しています。(ちなみに、それを聞いたホワイトハウス当局者はジョークと間違えたそうです。)
また、今回の原発事故では「想定外」という言葉が使われますが、米国では「全電源喪失」を想定した対策が取られ、シミュレーション訓練も定期的に実施されているそうです。これは、地震・津波ではなくテロを想定してのものだそうですが、日本に対してもそれらについて説明を行っていたそうです。日本側でももっと研究がなされてしかるべきだったでしょう。
27日、菅首相は福島を訪問し、佐藤県知事との会見で、「中間貯蔵施設を県内に整備することをお願いせざるを得ない」との認識を伝えました。佐藤知事は「突然の話だ」としましたが、まさか、正式に退陣を表明した人から、退陣表明の翌日にそのようなことを伝えられるとは想像もしていなかったでしょう。しかも、菅首相は、胡錦濤国家主席との会見のように、メモを読み上げるようなもので(まるで自分はその決定に関係ないかのように)、最後の最後まで菅らしさを発揮しました。
しかし、これもそもそもは、初期対応において情報を隠蔽して、正しい情報を伝えなかったということが、強く影響しており、全てのことは悪循環をして、ただただ時間が遅れています。「帰宅に20年以上の試算」などということはもっと早く伝えられるべきで、期待を持たせておいて、6か月近くもたってから、何の将来に向けての対策や方針も出さずに、そのようなことを伝えるのは、非常に残酷な仕打ちです。
尚、この著書の日米安保や沖縄関係の事柄も参考にはなります。このメア氏はある意味米国の「田舎のおじさん」というタイプの人かもしれません。沖縄での報道では彼のことを悪く言う人も多いようですが、ある意味素直に米国の考え方を代弁している人かもしれません。同氏は、沖縄問題を「ナイーブ」と表現しますが、今回の「沖縄はゆすりの名人」事件もそのような「ナイーブ」な関係の中で基地反対派にねつ造された記事だ、としています。以前紹介したことのある「幻想の島・沖縄」(大久保潤著)で、2003年11月に当時のラムズフェルト米国防長官が沖縄を訪問した際に、普天間が「世界一危険な飛行場」と報道されたことが、政治的に利用するためにねつ造されたものである可能性が高いとされているのですが、今回の「沖縄はゆすりの名人」報道も、目的な違うにしても、同氏が言うように事実ではない可能性が高いかもしれませでん。