HOME > 新井信介 「京の風」 > K2O > 無事戻りました。旅の最後はサマルカンド。
午後3時に東京駅に戻りました。
株K2O事務所で、内部報告会。
社長に、宗像先生、そして、ヌナト書房の総監督。
私を囲んで4名で、イシククルで捕れたシーガというサカナの燻製を食べながら、ビールで乾杯。
今回のキルギス~ウズベキスタン旅行の成果を、堪能。 現地日本人情報や、可能性の大きな事業のことも。
あまりに、多くの収穫が在って、書けない。
イシククルは、中国語で「熱海」。タシケントは、「石国」。そして、サマルカンドは、「康居」。
今回、各都市で、必ず博物館を回ってきました。最後のサマルカンドでは、壮麗なモスクだけでなく、
ジンギスカンに徹底的に破壊された、旧都アフラシャフとその博物館を見てきました。
初めは、キルギスだけで十分じゃないか、と思っていたのですが、サマルカンドに来て大正解でした。
旧都アフラシャブは、日本の飛鳥時代に最も栄えたシルクロードの拠点でした。
今回の旅の成果の一つは、大体2800年前から、イスラムが入り込む7世紀の後半まで、この中央アジアで何が起きたのか、これが系統的に、地勢や民族・部族特性まで含めて、かなり、明確になったことです。
そして、なによりも、ここでの、精神的地理感です。イスタンブールや、インドのデリー、さらに、北方の南シベリアまでが、いつでも、一体になって、広がっているという感覚です。ただ、中国だけは、天山山脈やパミール高原があり、そう簡単ではない、という感じです。 以下に、簡単な地図。
タジキスタンの上の青いところがキルギスで、ここには、イシククルはありません。
K2Oのオフィスで、簡単な帰国報告動画で撮りましたので、また、見てください。
ジンギスカンによって壊された旧サマルカンド。それを再建したのは、ジンギスカンの血統の娘を妻にしたチムール。 チムールは征服先から、建築技術者や芸術家、そして、イスラムの教養人をどんどんサマルカンドに集めた。
初めは4~5人しか従者のいなかったチムールが、イスタンブールからデリーまでに広がる大帝国を築いたのは、なぜか?
単に、武力だけではない、天に通じる大きな意志があったとおもいます。
キルギスもウズベクも、多民族が共存し融合している国です。 世界と世界史を感じるために、私は、何回も足を運ぶことになるとおもいます。ここで感じる世界に比べれば、アメリカや中国のそれは、あくまでも、誰かが自分のために勝手に作りあげた血と詐騙での枠組みでしかありません。
天 と 日。 そして、星。 この意味がようやくわかりだしました。 詳しくは、お会いした時に。
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