HOME > 新井信介 「京の風」 > 気まぐれ日記 > 4月9,10,11日と、あまりに凝縮した日々でした。結論:「ユズルハ」が現実に始まった。
こんにちは。 だいぶ書き込みを開けてしまいました。
私の人生の中でも、本当に重大な時間を過ごしたので、
頭(こころ)と身体(エネルギー)の整理に、時間がかかりました。
何があったか、簡単に時系列に、書いておきます。
8日夜に、未来創庵に、キルギスの二人を含め3人が到着。
9日は朝一で、4人で角間温泉に向かいましたが、年に一度の施設管理日で休みで、
4人で、中野市のポンポコの湯に行きました。
そして、昼には、「りんごで育った信州牛」のスキヤキを食べました。
この店は、日曜日は休みなので、土曜しか食べれない。
そして、斑尾高原で、ペンション・ブーワンによって、野尻湖側に下って、上越の高田に。
会場の和装学院の到着は3時になりましたが、
そこで、すぐに、三味線の白井勝文さんと合流。
少し、オープンカーに乗って、桜を楽しんだ後、4時から、私の講演
7時から、白井さんの演奏
8時から、夜桜。・・・これ、本当に、来てよかった。
10時に、高田を発って、未来創庵に戻るのですが、
このとき、
一人のお客様が、信州中野に 来られたので、迎えました。
そして、未明の午前3時まで、ワイワイ。
ここでは、「三島由紀夫の最期の真実」(豊饒の海)の話題で、特に盛り上がりました。
10日は、午前中は、みんなで馬曲温泉。 龍興寺で湧き水を汲み、
昼は、須賀川そばを、竜王荘で食べた後、中野市博物館へ。
(この段階で、一部は、小布施で究極のモンブランを食べて帰途に)
博物館では、石器時代からの展示物(ナウマン象の臼歯、縄文土器、栗林遺跡、柳沢遺跡の出土物、など)のほか、チョウゲンボウの生息地の解説を確認し、
その後は、サンクゼールで景色を見ながらコーヒー。
このあとに、キルギス人ら3人を高速バスの始発の柳原にまで送りました。
私は、客人と一緒に、御柱が行われている下諏訪に向かい、
11日、その客人を上田まで送くる。
その途中、桜並木を走っている時、サリバンくんから電話が入り、信州中野ICで合流し、
再び、サンクゼールで。 ここでは、秋のイベントの打ち合わせ。
さて、私の中で、どんなことが、このとき、起きていたのか?
今回、7日の夜の段階で、ビッグニュースが入っており、とにかく、以後の事態の展開が早すぎました。
1つずつ、丁寧に解説スべきなのでしょうが、どれも意味が深く重いもので、しかも、誤解を招きやすいので、
お会いしたときに、説明します。
簡単に言うと、
「巻き込まれながら、巻き込み返す」、その日本発の「巻き込み返し」の中心の登場が、
今、世界人類から求められているということ。
その中心の本質が、音・響きであるということ。
最初に個体生命ができた時の「生命律動」を、復活させれば(ここに、ミネラルと弦楽器が関わる)、
心身から「文明の垢」 が篩い落ち、個々の個体生命がもつ本来の生命力がどんどん湧き(受信能力が回復し)、
もう、時代に合わなくなった、人体での細胞も、人間社会の体制も、生まれ変わっていくこと。
日本発の人類史的変革は、「易姓革命」ではなく、また、「万世一系」という統治概念なども全て吹き飛んで、
すべての生命と共振・融和する、人類社会の新たな「新生の芽」となって出てくること。
それが、始まったということ。 それが、「ユズルハ」 である ということ。
この3日間に、私の周りに起きたことを忘れないようにするために、ここに書きとめておきます。
(ちょうどこの時期はパナマ文書の解明がどんどん進んでいる時で、10、11日は、広島にG7の外相が集まっていましたね。その前、6日にはウルグアイのムヒカ元大統領が、私の母校の東京外語大で講演しました。)
23日(土)に東中野で行われるJESでの講演会 『希望への羅針盤3』 では、
今進行する、人類文明の変化=「羽化」の現実の様相を、きちんと解説できると思います。
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