三笠宮は神武天皇の実在性を疑っていた。日本オリエント学会を起こし、ヘブライ語を学んだ。/新井信介 「京の風」

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三笠宮は神武天皇の実在性を疑っていた。日本オリエント学会を起こし、ヘブライ語を学んだ。

 御年、100歳。

覚悟していたとはいえ、昭和天皇の弟の崇仁さまが、昨日、薨去されました。

宮内庁書陵部で、独自に研究していた、小林恵子(やすこ)さんを見出し、 文芸春秋社の社長を呼んで、

その膨大な研究レポートを、書籍に纏めさせました。

このとき、三笠さんと小林さんによって確立された視座が、私の歴史研究の出発になっています。

日本の皇室では、戦後は、一貫して、この三笠さんの歴史観が、基本になっています。

もちろん、「うちの先祖が天皇を作った」という金井氏もこれと一緒で、

「縄文との連続性を、確立せよ」

これが、12年前に私に与えられた命題でした。

「日本精神」や「日本文化」を語る日本会議の面々は、事実史としての天皇や王権の誕生に、

冷静な研究を全くせずに、 現皇室の皆さんが、もっとも忌避したがっている、戦前の国家観と宗教観で、日本民族と文化を定義し、その理解に、とらわれているのです。

これは、ローマ帝国が作り上げた「神話になったイエス像」を、そのまま、実在としてきたバチカンとおなじものでした。

 神武の和風諡号「カム・ヤマト・イワレビコ」 

 ここにある、「イワレ」には、どんな 謂れ(イワレ)があるのでしょう。

奈良の三輪山の西南の麓が「磐余(イワレ)」と言われる地域で、これまで歴史学者は、その地の特定に熱心でした。

これは、日本列島での正式な王権発生の起源となる「イワレ」が、この地から始まった、というのが真実です。

皇室の皆さんは、もちろん、ご存知です。

それが、崇神天皇(ミマキイリヒコイニエ)の代であり、古事記日本書紀ともに、この人物には、神武と同じく、ハツクニシラスの名前が、贈られています。

 その三輪山にある神社が、大物主を祀る大神神社です。

「三輪」とはなにか、「大神」とはなにか、 今年9月のヌナトツアーでは、みんなで確認しました。

その実在のハツクニシラスである第10代の崇神のまえに、日本列島には、天孫族のニギハヤヒがいた。

これが、第9代の開化になります。 

問題は、その「ニギハヤヒ(個人の固有名詞ではなく、『地位』を表す普通名詞)」が、いつ、日本列島で始まったのか、ここが、重大ポイントです。

不比等は、これを知っていました。 それを、暗示しているのが、日本書紀に出てくる「金鵄」です。

古事記を「ウマヤド」の誕生で終わりにしたのが712年で、不比等は、それから8年の時間をかけて、再度、国の始まりからまとめ上げ、日本書紀を仕上げるときに、日本列島での独自性として、ある、文字を強調しました。

それが、  です。

この字は、日本書紀になって、一斉に登場してくるのです。皆さんも、ぜひ、ご自身で確認してください。

 

そして、今年9月24日、 日本鉱物学会は、 ヒスイを、「日本の石」に、正式に認定しました。

 三笠宮さんが、求めていたのは、人類史の中にある、「日本の真実」でした。

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