今年の御製も意味深。邯鄲と那須。陛下は、東アジアとの真の和解をお望み。/新井信介 「京の風」

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今年の御製も意味深。邯鄲と那須。陛下は、東アジアとの真の和解をお望み。

 「 邯鄲の鳴く音(ね) 聞かむと 那須の野に

  集(つどい)し夜を 懐かしく思ふ 」

 

 18年前、つまり、1999年の夏に、虫の邯鄲の鳴く音を聞きに、

 ご家族で那須に集まった、との歌意の歌ですが、

 この歌を詠まれたのは、昨年の夏で、退位を表明されたときでした。

 ご自身が、どんな経緯で、天皇の御位に就くことになったのか、

 じっくりと、その生涯を振り返っているときに、この那須での集いを、

 思い起こされたのでしょう。

 先帝の昭和天皇とは、どんな人間だったのか? 226事件のあと、一時、那須の御用邸に幽閉されていたことがあった、と、私は、中山法元氏から、聞いています。

 そのあと、1936年12月12日に、西安事件が起こり、蒋介石は周恩来と国共合作。

 一年後の1937年12月13日に、日本軍は、中華民国の首都、南京を占領しました。この直前、蒋介石は南京を脱出し、重慶に逃げ、そこで、アメリカに軍事支援を求めることになりました。

 安倍晋三は、昨年末、ハワイの真珠湾にいき、アメリカとの間で、「和解」「寛容」をうたいあげましたが、アジアの人たちにはどうでしょう。

 アメリカの下僕になりながら、アジアに対しては、戦前の大東亜共栄圏の夢を、いまだに追っているかのような日本。同胞のイノチが痛み、人口が6000万人も減ることを当たり前として、政策を進める日本の官僚組織と安倍政権。

(虫の)邯鄲には、そうした人間の頭の中にあるのは、「邯鄲の夢だ」と言っておられるのでしょうか。  

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