HOME > 新井信介 「京の風」 > 時事問題 > 次の総選挙の前に、「投票時間終了後、直ちにその投票場で、開票・集計する」方式に改めることを議員に求める。
こんにちは。今日は簡単に。
1)NHKは、このお盆に、「樺太」「731」「インパール」の特集を放映しました。
若いネット人間には、相当、新鮮で、衝撃だったようです。
私は、大正11年生まれの父や、ノモンハンにいった叔父、中支派遣軍の司令官、さらに、中国では、 日本の皇軍と直接戦った八路軍のゲリラ隊長、田中角栄を捕獲した兵士、などなど、多く人間から、ナマの実体験を聞いています。
張作霖の爆殺から始まり、1931年以後の東アジアについて、全体像をどう理解するか?これには、視座の違いによって、異なる局面・景色が生まれます。そのとき、国家(権力)を主に考えるか、人間個人の尊厳を主に考えるか? 私は、1944年7月にブレトンウッズ会議が開かれていることを中心に、世界経済がどうなったか、を基本にいつも考えます。この視点だと、「国家」すらも、道具の一つとなってきます。ブレトンウッズ会議は、ヒロシマ・ナガサキに原爆が炸裂する一年以上前に、アメリカに連合国代表が集まって、戦争終結後の世界経済体制を、米ドルを基軸にする金本位制と決められた。この体制は、金本位制はなくなったが、基本的には、変容しながら現代も続いています。
戦後世界は、イタリア・ドイツ・日本の降伏後、米ソの冷戦、二つに割れた半島、日米安保の中の日本、さらに、北京と台北に分かれた中国(そもそも、台湾は中国か?)、香港、マカオ、シンガポールが、どのような経緯をたどったか? ニクソンショック後、共産圏(ソ連中国)が、どのようにドル経済に組み込まれたか?
ここで、パールハーバー以後の当時の日本の国家権力をいうなら、1942年のガタルカナルで敗戦の後、なぜ、昭和18年(1943年)11月に第一回大東亜会議(大東亜共栄圏)が開かれたのか、当時の、日本の軍部(指揮系統と責任の取り方)は、どんな意識だったのかを考えます。無謀なインパール作戦は、1944年の3月から7月で、そのあとに、ブレトンウッズ、そして、ヒロシマ・ナガサキでした。
2)ところで、
総選挙が近いのではないか、との憶測を呼んでいるのですが、
とにかく、私たちは、
不正選挙を できない仕組み をつくることが、焦眉の急 です。
投票所で、投票の締め切り後、すぐにその場で、すべての票が見える、衆人環視の中、一斉に数えましょう。
私も数えたい。自分が投票した、その投票用紙を、きちんと確認したい。
とにかく、投票箱を、絶対に移動してはなりません。
集計結果だけを、選挙管理委員会に告げて、総計を出せばいい。
すべては、ここからだ。
< 【ご案内】新シリーズ『神と「神」の歴史(第1回)』(2017年8月5日開催)のDVDが出来上がりました!!・・・新シリーズの第1回目です。<絶対見てね!!> | 一覧へ戻る | 24日の夕刻、新宿で何でもしゃべろう会。皆神塾参加者の親睦会。 >