まず このブログを見てください。 http://fanblogs.jp/jicchoku/archive/137/0
そして、これ。告発状です。https://ameblo.jp/hamurindayo/entry-12302359307.html
その上で、2015年にエコノミスト氏に登場した、デンデンの勇姿と、勘違い映像を見るマスクマン。
1) お盆の最中の15日、総理である安倍晋三と、総理経験者の森、小泉、麻生の4名が、笹川陽平氏の屋敷で会ったことが伝えられましたが、ここで、一体、何が話されたのでしょうか?
1週間がたち、類推ながら、今の情勢を、それなりにまとめているのが、上述のブログです。
ここから、さらに、一部を抜粋します。
<加計学園について>
何やっても無理ですよ。白紙撤回は当然として、次々に過去の同種の問題に飛び火して行く。
安倍が生き残れることはあり得ない。
この記事はいいことを言って言う
安倍政権の3つの誤り
①権力の私物化
②都合の悪いことを嘘で切り抜ける隠蔽
③誰も自分の責任と思わない空洞行政
その通りで、
これら安倍のやったことすべてを総括しなければ、終わらない。
潔く、自民党は降りることをしなければ、どこまでも支持率は低下して行くことを本気で認めなければならない。
安倍の安っぽい、サルの反省は見え透いていて、国民は誰も信用していない。
逃げ切ろうとすればするほど、マイナス。
癌は安倍自身であることを認めなければならない。
役人の屁理屈答弁では、国民の感情は解決できないことも知るべし。
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このブログでは、このあとに、政治(政局)日程についても触れていますが、さあどうでしょう。
民進党の訳の分からない選挙も有りますし。
2)民主党の野田佳彦が総理の座を降りたのが、2012年11月で、それからの約5年。
実は、世界の主導原理が入れ替わったことを、私たちは、再度、認識しておきましょう。
それが、2013年からのアクエリアスであり、そのときの王族の合意の儀式が、4月30日のオランダ新国王の即位式。さらに、フランシスコのローマ法王の就任と、2015年のNY演説。そして、AIIBの発足。
安倍晋三は、まずは、2015年のエコノミストの表紙でスーパーマンであったように、カネさえばらまけば、全てが自分の言いなりと思っていたのでしょうか? これは、この切り替えの時期に、彼にその役回りがきたのでしょう。
しかし、地球人類の運命を語るには、あまりに単純で浅薄な知性しか無い人間だった。でも、彼に、バーチャルの映像を見させていた。それが、マスクマンの姿です。安倍晋三をおだてていたのが、戦争屋配下のジャパンハンドラーで、安倍を頼りにしていたのが「愛国陣営」だけでなく、日本の経済界、なかでも原発マフィア。そして、変革をいやがる官界は上手に飼い慣らすことを目論んだのです。
そうした日本の権力者の姿を、「あいつは危険だ」と見ていた人間の一人が、キッシンジャーでした。
3)今朝は、再度、映画『インフェルノ』をDVDで見ましたが、
この原作の発表の2013年から、映画公開の2016年の夏まで、本当に、人類史的な大転換でした。
まだまだ、紆余曲折はありましょうが、
一方で、宗教については、リアリティーの神(摂理)と直結する、本来(始原)の姿に気づかせながら、
人類の営みと地球生命(自然)とを、どう調和させるか、そのためにマネーをどう使うべきか、さらに、この人類種の個体数と個々の能力(責任感)の発現について、世界の通貨当局も、医療基準をつくるWHOも、検討をしていることでしょう。
映画『インフェルノ』では、主人公のロバート・ラングドン(トム・ハンクス)は、ケンブリッジ大学の教授です。
ケンブリッジこそが、近代フリーメーソンの発祥の地であり、さらに、ニュートンが、現代に至る中央銀行制度の創設者でした。ケンブリッジ大学など英語圏の大学で教える、フィロソフィーとは、森羅万象と、人類の一員である自分が、どう向き合うか、を自覚することを、まず教えますが、このとき、特に重要なのは、そう向き合っている自分自身が、何を思考・思索しているか、を、探ることです。これは、自分という一個人を形成する理性の枠組みを、徹底的に知る作業でもあります。
その上で、自分を、この3次元の地上世界に、今にどう生かすか、そのための想像と創造が始まります。
それに対し、日本の教育では、大学受験では受験のテクニックばかりを教え、さらに、公務員試験になると、このことをきちんと教えることはありません。自分が何を考えているか、その自分をしっかり見つめる機会も時間も無いままの人間が、システムの中に、没入するばかりなのです。だから、どんなに高学歴でも、すぐに、羊やヒラメ人間になってしまう。とてもではないが、人類の指導者は、ここからは生まれてきませんね。
責任感の欠片もない人間が、国家権力をつかむ。それが、戦後日本の統治システムなのでしょう。