HOME > 新井信介 「京の風」 > 時事問題 > どこまでも茶番(ポーズ)の安倍は『退場』しかない。今、中山恭子さんが怒っている。
こんにちは。
22日からの3日間、テレビ・新聞をじっと見ていたんですが、今日の午後、中山恭子氏が、小池新党と合流すると聞き、いよいよ始まった、と感じています。
1)高麗神社と天皇家
この3日間、私が最大の関心をもってメディアを見つめていたこと、それは、20日に陛下が高麗神社を私的に参拝されたことを、どのように報道・解説しているかでした。
結論を言えば、在位中の天皇による高麗神社参拝は、日本国(大宝律令の制定、記紀の編纂)始まって以来であるという事実に、メディアはあまり反応しない。これは、その意味が分からなかったのか、それとも、あえて避けたのか、どちらかです。
陛下が私たち日本国民に突きつけた事実とは、
高句麗の滅亡と日本国の成立が、きわめて強い関係がある、ということです。
もっと、分かりやすく言えば、皇室の守り神とされる三足烏(ヤタカラス)は、高句麗の神紋でもあるというのは、一体どういうことか、です。
神武東征で、大阪湾で敗れた後、神武が熊野に上陸したとき、なぜ、そこに、ヤタカラスがいたのか、です。
この辺は私の勉強会では、神武とは架空の存在で、実際は、崇神の東征。これは、3世紀の中頃の事実だと何回も触れています。
高句麗・百済・新羅で、新羅が半島を統一したが、高句麗も、百済も、その王族が日本列島に入ってきた。彼らを、受け止めながら、日本という、国家を形成した、その過程を、日本人は、大陸の中国人と共に、政治的には(公式文書では)ずっと隠してきました。
しかし、真相を知る人間は、どうしても、その血が騒ぎ出すのです。特に、その時々の、政治的な駆け引きや作為のなかで、大きな犠牲が生まれかねない場合には、「もう、これ以上、犠牲を作るな」と。
私には、今回の陛下の参拝が、実は大変、強い大きなメッセージで、
「真実を知るものよ、感じるものよ、動き出せ」と、聞こえます。
真実とは何か? 今、私たちが意識する「日本」「日本人」とは、実は1300年前に、古事記・日本書紀を元に固められた、「創られた政治的概念」だということ。これは、実際には、世界中からこの列島に来訪した多くの人間が、天皇という核を得た後、大陸半島と決別し、日本語の発展とその普及によって形成されたものです。しかし、明治になって中央集権を進めるときにこの統治体は激変し、天皇の赤子=皇民という政治概念がさらに強制され、それが対外的にも伸長する。特に、1910年から1945年までは、半島の人間も日本人として抱え込んでいたが、それを、戦後の日本は、国家(統治体)として、捨て去ってしまった。
北は、戦前の「日本国」の統治姿勢をそのまま残し、先軍国家と成りながらも、アメリカの支配下になった日本に、その支配から脱出することを求め続け、
南は、戦後日本の支配者のアメリカから、35年間の「日本」統治時代は、「日本」に同化させられ、民族の尊厳を失った屈辱の時代で、その恨みを晴らせ、と政治的刷り込みが繰り返された。
2)中山恭子氏は、本当にあきれ、怒っているのだろう。
安倍晋三が2012年12月に再度、総理大臣に返り咲いたとき、戦後の日本がアメリカの支配下であることに何の反発もせずに、その状態のママで国家利益を前面に出して、対中、対北朝鮮、対韓国で、強気の姿勢を作りだした。そのとき、戦前の愛国・皇国思想を否定する朝日新聞や親中のNHKの姿勢を嫌う人間たちは、「日本会議」という組織に集まり、ヘッドの無くなった統一教会は安倍個人に取り憑いた。この布陣で、メディアの報道姿勢を変えさせ、内閣人事局をつくり、「安倍一強」体制を作った。
この「安倍一強」が、本当に、日本の名誉を守り、国民のイノチを大切にしていたか? 国家の経営資源(人とマネー)を、きちんと生かしてきたか?
アベノミクスは国家のカネを直接使って株価を引き上げたが、新自由主義グローバリズムのなか、日本国内では富の偏りを強めさせ、大半の人間の未来の希望をどんどん狭めていった。
安倍晋三自身が政治的に名を挙げたのは、小泉内閣の2002年9月の訪朝で、当初は、拉致被害を認めない金正日に対し、強気の姿勢をとおしたことが、安倍の手柄と喧伝されたのが始まりだった。
事実は、このあと、5人の拉致被害者が帰国を果たしたが、そのとき、当時の外務省は、その5人を、再び北に戻す方針だった(これは、国家間の約束だった)のを、全身全霊で、日本国内に引き留めたのが、元外交官(ウズベキスタン大使)だった中山恭子氏だった。
その中山恭子氏が、「日本の心」という政治団体を作って党首となり、第二次安倍政権を支援したが、2013年からの安倍晋三内閣を見て、その政策をどう見ていたのか?
外交面は、ロシアとの領土問題に代表されるように、すべて失敗。カネのバラマキのみだった。
そして、なによりも、北朝鮮については、まだ多くの拉致被害者がいるも関わらず、北朝鮮とアメリカとの間の緊張を高め、それを煽ることはしても、被害者を現実的に救出するという意志が、時間が経つにつれますます薄れ、最後は、国連で、「これまでの対話は、全く意味をなさなかった。圧力しかない」と言い放ってしまった。
これは、その文言が、誰かが書いた原稿を読んだものにせよ、もう、政治家として、本気で、北朝鮮問題に、人間の尊厳、イノチの次元から解決する気持ちが、全くなくなった、と見切ってしまったのでしょう。
結局、安倍は、すべてが、誰かが振り付けた「ポーズ」でしかなかった。全ては、茶番だった。
「日本」や、「日本国」、「日本精神」といっても、それは、自分の「格好つけ」と一部の人間の「利益」の爲の、都合のいい看板・格好つけのセリフでしかなかった。
5人の拉致被害者を、実際に、最後に取り戻した、最大の功労者であった中山恭子氏本人には、そう感じられたのでしょう。
安倍の周りに集まった自称「愛国者」が、如何に、いい加減な、まがい物ばかりだったことか。
これが、彼女にとっての6年間だったのではないでしょうか?
そして、陛下からは、
もう、インチキはおやめなさい。ヤラセは、終わりにしなさい。
国家のありかたも、本気で、改変しなさい。
こういう意志が示されたのでは、ないでしょうか?
安倍晋三は、ことここまで至って、自分で解決する力は何も無く、もう逃げるしかないのでしょう。
父の晋太郎はこの日を予感したでしょうか? それが、ビッグママ洋子様のいう、「運命の子」?
明日、衆議院の解散表明です。
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