イノチが響きあう、新しい日本へ。(つづき)/新井信介 「京の風」

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イノチが響きあう、新しい日本へ。(つづき)

 また、やってしまいました。

操作が間違って、5)が消えました。続きです。再度書きます。

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そうなってくると、これからどんな事象が現れてくるか?

5) 真実を見つめながら、 自分の生存と、豊かさを、仲間でつかむ。

隣の中国では、習近平政権は、この3年間に、国内にスマホ金融を、普及させました。

これは、農村での金融機関の未整備、偽札の横行、そして、富裕層に、新規事業へのクラウドファイナンスを促す,一石三鳥の方策でした。

 日本では、現実のごまかしにばかり、国家権力が使われる。この真因が、「と金」人士による、国家マネーの略奪を、ほめたたえてきた、あほらしい現実があったからです。

マネーをどんなに獲得しても、現実をどんどん壊していったのでは、元も子もない。しかし、新自由主義グローバリズムと、数字での帳尻合わせで、表面だけは、きれいに見せるやり方にも、限度がある。

 今、その限度が来ている。どんどん、人間が病魔に苦しみ、死に出し、その流れを、改善する力が生まれない。さすがにこれでは、人類の管理者が、怒っていた。

彼らはまず、表で、人類の普遍的価値を語りながら、裏で、殺人を平気で繰り返す「猟奇的文化」をもつものを、権力の座から排除し、そして、国家と利益を語りながら、個々人の尊厳を踏みにじってきた精神性を、告発する。

列島で、権力者となっていた「と金」人間は、人類管理者のこの姿勢が、ガチでマジであることに、ようやく、気が付くことになります。

リアルに、地球上での、人間社会を変えるには、表面のとり繕いだけが、上手な、秀才は、全く役に立たないどころか、邪魔者であり、害毒でしかないのです。

 文部省の考える教育も、この、「とり繕い」の知性と、真に「現実を根本から治す」ことの違いを、きちんと知ることから始めるのなら、この国には、まだ、希望があるでしょう。

しかし、それをした場合、これまでの日本の各分野の「権威」は、すべて入れ替えることになります。

 ここでは、イノチの実態 と 政治的概念としての「実態」 の区分け ができるかどうかです。

 私が、先ほど、冒頭で、奈良先生のビデオを見てください、といったのは、

あそこには、日本列島での神道の始まりを、見事に解説しているからです。

日本の神道は、水稲での稲作の普及によって、始まった、と。

日本の水稲稲作は、3000年前に、佐賀県の菜畑遺跡が最初です。

 これによって、日本列島で、「みずほの国」が始まるのですが、

稲作は、穀物ですので、多くの余剰生産(耕作者以外の人間の食い扶持)を生み出します。 この余剰生産を、どう押えるか、分配するか、管理するか、で、権力が発生するのです。それを支えたのが、概念を運ぶ、文字 でした。

これは、自然界から、人間社会での余剰分の獲得のために、自然を切り取る、という意識の始まりでもありました。 

「サピエンス全史」の著者が、農業こそ人類最大の詐欺 というのは、まさにこの点で、他者を使役し、自分の権力のために、どんどん、労働させる、というのが、農業の実態だ、とするのです。

その点、一万年以上続いた、縄文の日本は、人間の精神と肉体感覚が、自然と常に一体で、自然そのものと、自分のイノチとが、響きあっていたのです。だから、過剰な取入れはしなかった。常に、イノチのの響きと離れなかったのです。

 それを、比較文明論では、「根源的紐帯」と言っているのです。

人類の営みが、自然環境を壊していることの自省的な自覚は、持続的発展という概念を産みましたが、日本列島の縄文人たちは、ユーラシア大陸で、どんなに文明が発達しても、このイノチの響きを、切り裂くようなものは、受け付けなかった。

 その象徴が、翡翠であり、そこに、ヘブライの知性を加味したものが、勾玉でした。

この存在を、不比等は、日本書紀をまとめるときに、明確に、認識していました。それが、

 八尺瓊勾玉 です。 

日本では、翡翠を、一昨年9月24日に、ようやく、「日本の石」にしたのです。

大いなるイノチの流れと、人類の一員として与えられた、人間個人としての、自分のイノチ。

想像と創造のできる、唯一の地上の生命種、人類。そのなかの私という人間。

しかし、この人間を、一つに方向に意識づけるために、多くの神話が語られた。それは、実は農業の始まりと一体だった。さらに、それが文字でつづられると、それが独立していき、聖画などで、権力者が作り出したイメージがどんどん刷り込まれた。

で、日本列島で農業が始まったのが、3000年前です。

私が生まれた北信濃(縄文と弥生が融合する)では、ちょうど、始皇帝の登場のころに、稲作が始まっています。

一昨日、白根山が、噴火しました。これが、3000年ぶりとのことです。

どうも、この次元まで立ち返って、日本列島での人間社会を創り直せ、ということなのでしょう。

 このときは、もう、ITをつかって、完全に真実情報を共有して、いい現実作りを最優先するしかありません。マネーでの計算を優先するのでは、実態を、ごまかし続けるか、国家からのマネー依存のままになります。

 参考になるのは、江戸時代まで、全国に色濃く残っていた、「結(ゆい)」と

 易姓革命がなんども繰り返された、中国大陸で生まれた、「幇(パン)」の思想です。

そこに、イノチの響きから離れなかった、サンカの感性(音楽性・芸術性)が加わります。

それが、今、IT技術によって、ようやく、相互扶助での現実作りのために、マネー(価値の実態)が、動員できる状況になってきたのです。

神話を神話として、位置づけ、そこに、埋没するな。「と金」知性になるな。

 「依らしむべし、知らしむべからず」という教育は、卑怯な詐欺師を産むばかり。

 どんなに、むごくても、真実から、目をそむけるな。それを、発信し続けよ。

そのうえで、仲間に、現実対処の、ごまかしではない、知恵をもとめよ。みなで、知恵を出し合えば、本物の智慧に、必ず、到達できる。それが、ミトラ思想だった。その実践者が、

 淮南子の劉安、カニシカ王、ジャーマースプ、そして、ウマヤド(タルドウ)だった。

そのミトラを、列島の天皇に生かして、全世界に広めようとして、志半ばで崩御したのが、天武ではなかったか? 彼の最晩年に、「朱鳥」と書かれ、「真人」と、おくり名されたことは、この意味ではなかったか?

 で、最後に、いじわるを一つ書きます。 

「うちの店のトンカツは、世界一おいしい と、自慢するブタ君」

この言葉の意味が分かりますか? 誰のことか、わかりますか?

 

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