ボランティア界で「師匠」と呼ばれるスーパー爺の尾畠さん、いよいよ全国区デビュー。「光」の始まり?/新井信介 「京の風」

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ボランティア界で「師匠」と呼ばれるスーパー爺の尾畠さん、いよいよ全国区デビュー。「光」の始まり?

こんばんは。

今日は、正午に、NHKニュースで、千鳥ヶ淵で行われた全国戦没者追悼式での陛下のお言葉を聞いた後は、
山口県の周防大島で行方不明になっていた、2歳の幼児発見のニュースに湧きました。
前日、わが子を探す母の必死の声が、流れたばかりでした。

で、今回、見事に、この少年を見つけ出したのが、大分から現地入りした、尾畠さんでした。
この方は、以下にあるように、「311」以降の列島の災害では、常に現場に駆けつける、ボランティアの鏡のような方で、
「師匠」と呼ばれるほど、仲間から慕われる人物だったようです。
この方が現地に入るや否や、すぐに幼児の場所をつきとめたという、本当に、「神業」のような仕事ぶりでした。
ボンクラの県警とは全く違うわい、と、誰もが思ったのでしょうが、どこかしら違和感を感じている人もいるでしょう。
この方は御年78歳で、先週までテレビを騒がせた、ボクシング協会のY氏と同じ年齢です。
大分の別府でまじめに魚屋をやっていた方が一念発起で山登り。ここからボランティアもスタート。

すでに大変な実績のある方ですが、この方が、今、この時期に、全国区の知名度を持つことになりました。

2020のオリンピック前で、政府がしきりにボランティアを呼び掛けているタイミングでした。まさか、これから、この方が、テレビで、レギュラーになるなんてことはないでしょうね。

でも、誰かさんたちなら、そんな仕掛けと仕込みを周到にやりかねないか。

以下、5ちゃんの書き込みからからです。

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1ばーど ★2018/08/15(水) 17:42:19.
山口県周防大島町で8月12日から行方不明になっていた2歳の男児が15日、無事に保護された。山中で男児を発見したのは、ボランティアで捜索に加わっていた大分県の尾畠春夫さん(78)だった。

報道各社のインタビューに応じた尾畠さんは、「小さな命が助かったと思った。本当にうれしかった。助かってよかった、助かってよかった。ただそれだけ」と語った。そして、2016年末に大分県で行方不明になった女児の捜索ボランティアにも参加しその時の経験が今回の捜索で生かされたことも明らかにした。
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■ ボランティアで由布岳の登山道の整備

大分県別府市で鮮魚店を営んでいた尾畠さん。40歳で登山を始め、58歳で北アルプス55山を単独縦走した。

尾畠さんはその頃から、ボランティアで由布岳の登山道の整備を始めている。月に7~8回、30~40キロの材料を担いで登り、崩れかかった登山道の整備をしたり、案内板を設置したりしたという。
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■ 徒歩で日本列島を縦断

66歳で尾畠さんは鮮魚店を引退し、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで日本列島を徒歩で横断する旅に出た。

2006年の4月1日に出発、7月1日に全行程3250キロを歩き、尾畠さんは無事ゴールを遂げている。毎日、朝夕に孫の声を電話で聞くことを励みにしていたという。

このチャレンジについて、尾畠さんは朝日新聞の取材に「生まれた日本を縦に歩いてみたかったのと、体力がどのくらい持つのか、動機は単純じゃ」と語っている。

ゴール後、同級生たちに祝福された尾畠さんは「目標を持ってやれば、出来るものだ」と笑顔だった。(朝日新聞2006年07月09日)
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■ 東日本大震災・南三陸町でボランティアの「師匠」と呼ばれる

2011年の東日本大震災では、3月から宮城県南三陸町でボランティアとして活動していた。町から依頼され、被災地で、人々が大切にしていた物を拾い集める「思い出探し隊」の隊長を務めた。

軽自動車で3日かけて被災地へ。日本列島縦断の旅で、テントを干していた南三陸町で親切にされた人を訪ねたことがきっかけとなったという。

2004年の新潟県中越地震の被災地でもボランティア活動に参加していた尾畠さん、若いボランティアからは「師匠」と呼ばれていたという。その後も大分と車で往復しながら計500日間支援に当たったという。(朝日新聞2011年04月27日)
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■ 熊本地震でもボランティアに参加

熊本地震では、熊本県益城町でボランティア活動をしていた。既にこの時には「ボランティア歴25年」になっていた。

町が設置したボランティアセンターに「スコップやヘルメットがもっと必要」などと用具などについて助言。職員が「私たちにも初めての経験。言われて気付いたことがたくさんあって助かります」と話していたことが報じられている。(朝日新聞2016年04月25日)
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■ 夢は100歳での祖母山登頂

尾畠さんは、夢は「100歳での祖母山登頂」だと答えている。ボランティアは「体力の続く限り続けたい」という。(朝日新聞2010年12月24日)

8/15(水) 16:58
ハフポスト日本版
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180815-00010003-huffpost-soci

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https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534321164/

「チョー絶善人」尾畠さんの雄姿

14名無しさん@1周年2018/08/15(水) 17:46:13.64ID:t8uaco3z0

■漢 尾畠

九州北部豪雨
https://i.Imgur.com/LWvwLp4.png

熊本地震
https://i.Imgur.com/ciauUci.png

鬼怒川決壊
https://i.Imgur.com/HnEzNkz.png

3.11
https://i.Imgur.com/JhcziMX.png
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https://i.Imgur.com/0jONW7h.png
https://i.Imgur.com/8hdbw50.png
https://i.Imgur.com/FUV71AY.png
https://i.Imgur.com/DbuQII3.png

よしき行方不明
https://i.Imgur.com/gKMqe5h.jpg
https://i.Imgur.com/lTsd6cu.jpg
https://i.Imgur.com/3m41HIS.jpg

「あたりまえのことをしただけ」
http://Imgur.com/E54kSzQ.jpg

まあ、レスリングのパワハラ、日大アメフト、ボクシング奈良判定といった、反吐が出るようなニュースばかりだったから、この終戦の日に登場した大畠さんの活躍というニュースで、すっかり、さわやかな気持ちにはなれるのですが、なにかなあ。

周防大島と言ったら、私の師匠でもあった歴史工学の馬野周二博士の故郷。馬野先生の父は朝鮮総督府の高官で、松岡洋祐は親戚でした。

あと、ボランティア関連で言うと、以下のニュースがあります。吉川晃司さんです。

7月の西日本豪雨以来、いろんな芸能人が、被災地を回っていますが、ネットで見るかがり、もっとも信頼を集めているのは、どうも、広島生まれの吉川晃司さんのようです。また、この人は、三国志オタクで、常に、人間としての生き方、誇りについて、ほんとうによく考えていて、実際に行動している人です。もし、政界に入れば、山本太郎以上という話もあり、注目したい。

さらに、以下のように、最後に、安倍様「一人勝ち」になった日本列島の平成時代ですが、「平成のお掃除」を歌う歌が、トランプの登場とほぼ同時に、日本の若者の間に流行りだしていたのですね。

 あと、因みに、来年の、平成最後の歌会のお題は、『光』です。

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新井先生  

2年前にこんな歌が出ていたとは(笑)

きっと「お掃除」の計画は、退位に合わせて、長期にわたって練られていたんでしょうねぇ。

https://www.youtube.com/watch?v=Q_rvOZbldR0

 

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