1)北は27日、ミサイルを発射しなかった。
蓮舫が、民進党の党首を辞任。
この報道のあとに、
稲田大臣が、辞任の意向表明。
あわれ、惨め、時代遅れ、勉強不足の「愛国」陣営。 あなたたちを動かしていたのは、
満州亡霊と、アメリカの戦争屋と、 中央集権の利権にとりつく拝金主義。
人類の知性の成長の方向が、まるで分からないままの未熟さでしたね。
しかも、
現実の国際政治の現場に、まったく、リアリティーが感じ取れないままでした。
戦後直後からの、北をつかった、日本・中国・韓国・イスラエル・アメリカの画策を、
自分の手で主導できると、勝っ手に思い上がっていましたね。(マイケル・グリーンがヨイショした?)
戦後の東アジアに、この仕組みを作らせた大元の人間がいることを、
デンデンや日本会議はもちろん、官僚も経団連幹部(葛西、今井ら)は、全然、見えていなかった。
いま、そこが、方向転換しているのです。
明治維新だって、如何にして岩崎(三菱)がのし上がったのか、三井・住友はつぶさに視ていたでしょうし、近衛(不比等の末裔)や、金井(イカヅチ)は、激変する世界構造をよく知っていました。
それにしても、
総理になった野田佳彦に代表される松下政経塾の面々は、この浅知恵「愛国」陣営の補完・補助でしかなかった。それもFRBとアメリカからの国家操縦の手の中で踊らされただけ。日本の原発政策の背景に突っ込まなかったし、安倍を再登場させる道を開いたのは野田本人だった。ここの総括が全くなかったのですから。
「国家のカネ」の使い方を問題視しながら、特別会計や特殊資金・理財局の管轄資産には何も触れなかった。学校運営では、加計学園が、なぜ、あんなに急に成長したのか、させたのか?
戦後日本の暴力装置の本当の主は、一体、誰だったのか? 単純に、アメリカ戦争屋だけじゃない。
それよりも、未確認ではありますが、自衛隊内では、同胞が送られた南スーダンでの惨状に憤り、
「この大臣の下では、日本が壊され、自分たちは殺される」と、檄文まで出ていた、
との情報もあります。(実は未然につぶされたが、XXX騒動 もあったとか)
2) アメリカからは、昨年9月にヒラリー(本人)が死んだ後には、
「すでに集団的自衛権で自衛隊を世界中に派遣できるようになったので、憲法を変える必要はない」、との方針が示されたのに、
安倍の背後には、どうしても、自分たちがフリーハンドで、この日本国の、優秀で、もっとも練度の高い暴力装置を、世界中で動かしたい、という人間が、存在し続けた。
彼らは、明治にできた中央集権国家という暴力装置を、戦後のアメリカの指揮下ではなく、自分の意志で動かしたがった。
そのために、「お花畑」の国民を、「天皇」というお題目が張られた、機動ソフトにそって動く、ロボットのごとく、全く無思考の人間につくり変え、
しかも、経済的・軍事的にプレゼンスを増す中国に対し、あらゆる手段を使って、圧倒的な優勢性を確立した上で、アメリカまでも、そのフリーハンドのなかで、従わせる。
こんなことを、夢想していたのかもね。
頭が完全にアニメの世界だから、すぐ目の前にいる人間には、自分と通じる人間だけには、国家の利権から地位とマネーを取り出して分け与え、それ以外のもには、目くらましの芳香剤と、嫌がらせで行動を縛り、黙らせる。
そのために、政権奪回のときから、ヘッドのいなくなった宗教団体の組織を丸抱えして、それを、国家権力を握ってからあとは、諜報のための私兵にしてしまった。
宗教団体の熱心な信者は、上位者からは、よろこんで洗脳されたがる。
「これは、神からの司令だ」「やり遂げれば、天国に行ける」といえば、何でもしてしまうのでは。
こうした、未熟でお粗末な知性から脱するために、人類は宗教改革以来、500年の闘争を経て、ようやく、人類個々人の「個人の尊厳」という意識を見つけ出し、それが、人類の未来を創り出す、基盤であるとしたのに、
「愛国」陣営は、それを、天皇からの恩寵と考え、そこで、留まってしまった。
これは、日本での最高知性を形成した東大の法学部と医学部の人間にも、この思想的「枠」がはめられ、彼らよりも、点数の取れない下々の国民は、自分たちの地位と待遇を確立するための道具になってしまった。
天地自然の真理や、現象面での真実、自然科学の法則よりも、自分たちが決めた制度での利権を最優先させた。
政治家を創るのが目的だった松下政経塾は、本来なら、ここを、徹底的に研究し、
それを時代に合わせて、列島内の個人の能力(創造性と責任感)を引き出す体制を、如何に構築するか、に精一杯の研鑽を毎日、すべきだったが、
彼らは、あくまでも、この体制での、奉仕者の視点から脱出できなかった。
全てが茶番であるが、具体的には、特別会計に切り込んだもののみが、本当の変革者だった。
3) ただ、明治維新で、人類に誇れる成果がある。
世界で初めて、国民皆教育を始めたのは、日本国だ。そのモデルは、実は、古代中国にあった。
統治体の内側にいる人間に身分の差を無くして、教育を普及させる。その大切さを自覚し、徹底した先駆者は、
あの金印で有名な、後漢の光武帝・劉秀。
中国ではその前の前漢時代に、地上の人類の運命をも統括する、大宇宙のコントローラー「太一」を、皇帝である、武帝(劉徹)個人の独占物とする教義が、董仲舒によって確立し、皇帝の権限がさらに強化され、中央集権が進んだ。
同じ時代、こうした動きとは無縁だったのが淮南地域で、ここには、皇族の淮南王劉安がいて、三千人の食客を抱えながら、天地と国家と、自分個人の心と生活のあり方、を縦横に話させた。
それをまとめた書物が『淮南子』。この中では、国家や権力者とのつきあい方、距離の置き方をおしえながら、この三次元での現実世界に、如何に、自分の精神と生活を確立していくか、を述べている。
その中で、老子が見つけ出した「道(タオ)」が宇宙摂理と意識され、それを、個々人が常に意識して、日々、自律しながら生計を立てることで、自分の突き進む「道(生き様)」が極まるとした。
時々の権力に対して、「明哲保身」の姿勢を保ちながら、どんな時代(権力構造)になっても、それに依存しない(あてにしない)で、揺るがぬ「自分の世界」を持ち続けると。
光武帝もこれを読んでいただろうし、不比等が記紀を書くにも、この書物は読まれていただろう。
近衛や金井の継承者は、日本列島では「大宝律令」が国家体制を創り出したことを知っていて、千百年後の幕末・維新で、列島の全ての人間が近代国家形成のために、一つになる物語を再構築した。
列島での無文字時代から人間の歩みと、国家(’天皇)の歴史を一致させる皇国史観もとに小冊子をつくり、新政府はまず最初に、これを全国の有為な人士に配った。これは日本国家のアイデンティテイーつくりだった。
それで、この列島には、「天皇を中心にした『神の国』」と言う国家観ができた。
本当の愛国者なら、戦後は、アメリカに完全に取り込まれたこの統治体を、アメリカから物理的に脱出するか、それができないとするのなら、移民の国アメリカをも納得させる、日本発の国家観、さらに、普遍的な統治原理を、導きだそうというのが、本来の知性のはずだ。
これを怠ってきたのが、列島内では最大の権力集団である、東大(法学部、医学部)と、日本の神社を束ねる神社本庁だ。
彼らには、知識も見識も十分、あるはずだが、それをどう生かしたらいいかと考える理性の段階で、まず、天地自然と、日本の国家権力の関係が、きちんと理解できない。
だから、人類活動がグローバル時代になった今でも、自分の「権威」と一体となった国家権力を、アメリカの戦争屋のチカラか、皇国史観の暴力装置しか、思い浮かばない。
頭脳明晰であるはずの自分自身の、この知的停滞を突破する(慰める、わりきらせる)ものが、目先のカネ、現世利益。つまり、国家のカネ。地位のカネ。放射能事故・汚染の拡散、自然環境の汚染、貧困の増加は、二の次三の次。
だから、株主利益の最大化を言う、新自由主義グリーバリズムにすぐに侵された。デンデンの信認を得た竹中平蔵氏に、何も反論できなかったのだ。
4)まあ、ともかくも、安倍政権の「媛」は消える。 日本会議の面々の、精神の彷徨が始まる。
では、新自由主義の旗手は、どうなる? これが、経団連と一致だが、
経済は、何のためにある? それを国家権力とはどう関わるのか?
「311」以来、どんどん人が死んでいるぞ。 自殺者が増えているぞ。
人よりも、株主の利益を、最優先してきのだから当然の結果か。
経済成長の前に、国民の生存があるでしょ。
身分・資格に、マネーを配るのではなく、豊かさを生む、現場の実体を創らせるために、国家権力(暴力装置)を、どう使うか、これを、国民みんなで話すことでしょ。北に、ミサイル飛ばさせている場合じゃないでしょ。